感情の帝王学:『マキアヴェッリと『君主論』』を読んで
たまにはITの現場的な話から離れて、マキャベリを読んでみたのでそれについて。
今回読んだのは『マキアヴェッリと『君主論』』という文庫、これは前半がマキャベリの生涯、およびその周辺の歴史的背景、後半が君主論の内容となっている。正直前半はヨーロッパ人の訳の分からない名前や地名ばかりで読み終わるまでが辛く、覚えていることはひとつもないのだが、もしかするとその後の君主論パートを理解する上で理解を助けてくれている、のかも知れない。
感情の帝王学
マキャベリズムという言葉が「目的のためなら手段を選ばない」思想としてしばしば否定的な意味で使われるが、(Wikipediaにあるように「国家のためであれば」という枕詞を付ければ)まぁその通りだと思う。非常に非情であるし、国家を存続、隆盛させるためであれば犠牲を厭わないという徹底した思想が伺える。
しかしその論理を裏打ちしているものは、徹底的なまでに「感情」の観察結果である。君主がこのような行動をとったら臣下、民衆、敵国はどのように感じるか?では君主はどう振る舞い、どう行動すれば国家を存続、隆盛出来るのか?というロジックでほとんどのことが語られている。
「非情な管理」という意味では同じ方向性であるテイラーの科学的管理法のような、人間を機械のメタファーで見る管理論とは真逆の論理に依拠している*1。むしろプログラマのヤル気にフォーカスしたデマルコの『ピープルウェア』と同類と見たほうが適切だろう。
そういう意味で君主論の内容の現代への応用は孫氏の兵法などよりもしやすいと思う。例えば陣形の話などを学習しても現代に応用するにはそれを一つのメタファーとして捉えてから再度現代的な事象に落とす、という「概念化→具体化」のプロセスが必要なのに対し、君主論の内容は人の感情の話なので場面を中世から現代へ「置き換え」だけしてしまえば通用してしまう。
オフショアに赴くマネジャー
さて、まだ実際の内容に触れていないので引用しながら示唆を導き出してみよう。
言語、習慣、制度において旧来の領土と異なる地域に領土を得た場合、そこには多くの困難があり、それを維持するためには非情な幸運と努力を必要とする。そこに生ずる諸困難に対する最上かつ最も有効な対策の一つは、征服者自らがその地へ赴き、居をかまえることであり、この方策は領有をより確実で永続的たらしめる。
僕が5年前くらいに行った仕事で「インドの開発センタの品質が悪いので、それを落ち着かせつつ日本&中国で巻取る」というのがあったのだが、そのためにインドの開発センタに僕やその大勢の巻取りメンバが行った時、すでに2人の日本人マネジャーが滞在中だった。正直その頃は「この人たちは日本に居ると報告しないといけないし出張の口実作ってインドに逃げて遊んでるだけなんじゃないかなー」とこっそり思ったこともあったのだが、やはりマネジャーが現場を直接見ないとマネジメントは出来ない。特に人種が違う場合は彼らが何を考え、何を行動原理とし、どんなズルをしやすいか、などを理解することはリモートでは絶対に到底無理だ。
メンバリリースの判断
人間は寵愛されるか、抹殺されるか、そのどちらかでなければならないということである。何故ならば、人間は些細な危害に対しては復讐するが、大きなそれに対しては復讐出来ないからである。
まさにマキャベリ節の刺激的な文章だ。プロジェクト体制で言えば「抹殺」はプロジェクトからのリリースにあたるだろうか。プロジェクトに貢献してくれているメンバを評価し、昇給・昇進、チャレンジングなロールを与えることは当然として、そうでないメンバに対して中途半端な処遇、つまり重要なことはさせられないからと低レベルの作業だけ振っていると彼(彼女)自身も不満が溜まり負のスパイラルに陥ってしまう。むしろ早期にパフォーマンスを見極め、本当に活用出来ないメンバはリリース(または配置換え)の選択すべき、なのかも知れない。(ここは断定出来ないなぁ。)
補足:『よいこの君主論』
君主論について読んだ本はこれが実は2冊目で、以1-2年前に『よいこの君主論』を読んだ。これは「もしもクラス統一を目指す小学生がマキャベリの『君主論』を読んだら」という『もしドラ』的な題名でも良さそうな本だがこれがなかなか面白い。
今回佐々木の本書で原典にあたってみると、「あれーそんなこと言ってたっけなー」と思うところも多々あったのだが、君主論の雰囲気を感じ取るには手軽だし、ゲーム的・マンガ的に読み進められるのでオススメ。
- 作者: トム・デマルコ,ティモシー・リスター,松原友夫,山浦恒央
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2013/12/18
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